サイクルメイトヨシダの記憶

久しぶりに対面したロードバイク。
実は30年前に自分がオーダーして作ってもらったもの。
オーダー。

単に色とかのオーダーではなく
各パイプの角度までオーダーしたもの。

ここからちょっと昔話。
作ってくれたのは当時の「サイクルメイトヨシダ」。
今は「Y’sロード」に名前を変えて大規模展開をしているが、自分がお世話になっていた頃は「サイクルメイトヨシダ」。もっと前は「吉田自転車」。

初めて行ったのは1985~6年くらいだったかな。
埼玉県志木のサイクルメイトヨシダ本店でオリジナルブランドとして販売していたS2(スコーピオン2)という名前のキャンピング車を買ったのが最初。
それまでは朝霞のカネコ自転車(今のカネコイングス)で買ったロードマンに乗っていたのだけど、高校に入ってから、より遠くまで旅ができるようにってコトで。

ちなみにその時に買ったキャンピング車は今の実家の物置に逆さまになってぶら下がってます。これまた30年くらいこの状態。

この自転車ではあっちこっち旅をしたのだけど、その話はさらに長くなるので割愛。

サイクルメイトヨシダでは、その後これまたオリジナルブランドで出していた「シャウラ」というロードバイクを購入。これはシマノ600EXで組まれていた。まぁS2もシャウラもOEMで、確かFK(フカヤ)だったんじゃないかな。

その後大学生になった自分は、ヨシダが新しく池袋に出店した「チャーリー」に入り浸り、やがてそのままバイトになった。
当時の店長は吉田肇さんという方で、この人が自転車についてはめちゃくちゃ詳しい。古いランドナーやパーツについていろいろ教わった。(今も志木の本店にたまに出勤されているそうだ。)

当時のヨシダにはオリジナルオーダーブランドで「ANT☆LES(アンタレス)」という自転車があった。これは山岸さんと言うフレームビルダーが工場で作っていたクロモリの自転車で(大半は)正真正銘のヨシダ製自転車だった。

さて1992年当時の自転車業界は「新素材」が話題だった。
少し前からあったレイダックやMTBのクラインのアルミフレーム、TVTのカーボンフレーム、パナのチタンフレームなどなど。

そんな頃に「ANT☆LES」でもカーボンを手掛けることになった。最初はMTBのハンドルバーだったと思うけど、次にMTBとロードのフレームを作ることになった。
当時ロードレースに出ていた自分は、コレに飛びついた。
少ない知識でフレームの設計を考え、クリテリウム向きのクイックなハンドリングを意識してオーダーをしたのだった。

そして出来上がったフレームは前三角がカーボンパイプの接着。バックとフォークはクロモリという、その次の世代とは真逆の構成。まさに試行錯誤の時代だったワケだ。
当時の定番7400系デュラエースで組み上げて試走。

この時の衝撃は今も痛烈に覚えている。

「こんなん乗れねぇ・・・」

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